「茅場」とは?

かつて、屋根を葺くためなどに多くの茅が必要でした。ススキなどの草原は放っておくと、そのうちに森林となる場合が多いです。良質の茅を沢山得る為、定期的に刈り取り、「茅の畑」のような状態を保っていた場所が「茅場」です。三宅島では、一軒の個人で持っている茅場と、村などが共有で管理する茅場とがあったことが、文献などからわかります。現在の三宅中学校グラウンド付近も、昔は茅場だったそうです。富賀神社から雄山の七島展望台へ登るあたりには「茅場」という地名がのこっています。茅葺き屋根が衰退した時点で畑などにされた茅場もあったと書かれている資料もありますが、牛の飼料などに使うため共同の茅場に刈りに行った記憶があるという話も聞きます。三宅島では人工的につくっている「茅場」は現在はありませんが、かつて茅場がどのように広がっていたのか、今後詳しく調査をしていきたいです。また、現在でも定期的に茅を刈り使っているひとが多くいることや、茅葺き屋根が一棟ではありますが現存していることから、「茅場」を再生させ使用していくという展望も、考えらえると思います。自然のススキ原と茅場との違いを認識し、稀少な野鳥の保護などとも考え併せていくことも、大切です。

 

 

三宅島以外でも、そしてススキ以外の茅をつかっている地域にも、「茅場」があり、今でも野焼きなどの手入れをして保っています。屋根に用いる良質の茅を得るための茅場の管理方法も含め、「茅採取」という技を伝えていくべきなのです。地域に応じた暮らしの知恵の一つです。

 

また、茅場はかつてはかなり広範囲に存在していて、「里山」といわれる田畑や山林とともに、ひとが自然の恵みを受けて他の生き物とともに生きていたことの象徴といえます。里山にいた多くの種類の生き物が、今は稀少となってきています。「手つかずの自然をいかに守るか」という課題もありますが、一方で「人間が沢山暮らしている」現状を引き受け、周囲の生き物や地球環境とのバランス・持続的な関係を考えていくことが、とても大切です。「茅場」の意義が再認識されつつあります。

 

島役所跡の葺き替えに使うための茅場は、椎取神社付近にありましたが 昭和37年の噴火で失われた、という話も聞いています。お年寄りのお話から、最後に島役所跡の屋根をこの茅場から刈ったハチジョウススキで葺いたのは、昭和26年頃であったのではないかと考えられます。いずれも、詳しい調査が必要です。

(2022年6月)

茅に詳しい方から、ひとが茅を使うために刈っている場所・刈りに行く場所こそが 本来の「茅場」である、というお話を伺いました。人工的に育てている場所ではなく、海岸などの自然のススキ原から刈りとって利用することも、三宅島では昔から今までよくみられます。噴火で荒廃した場所「ふんかやま」にカヤ(ハチジョウススキを刈りに行った、という思い出話が高齢者から聞かれ、茅の利用から、まさに限られた資源を利用する暮らしの様子がうかがえます。

(2022年9月)